1815年皇帝アレクサンドル1世は、ポーランドに対して憲法を与えポーランド立憲王国が成立した。議会の開院式に出席したアレクサンドルは、勅語の中でロシア国内での憲法施行を準備していると言及したため、これに期待する(または、ポーランドに憲法を施行し、ロシアに未施行であることに反発する)向きがあった。しかし、アレクサンドルは、ウィーン体制に同調し改革者の仮面をかなぐり捨て、反動へと走った。 秘密結社は、アレクサンドルの変節により動揺し、穏健派である北方結社にも詩人のコンドラチイ・ルイレーエフやアレクサンドル・ベストゥージェフら共和制を志向する一派が加入することで急進化していった。また一部には、ピョートル・カホフスキー、A.I.ヤクボーヴィチのように皇帝暗殺を計画する一派まで現れた。
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1825年皇帝アレクサンドル1世が行幸先のタガンログで崩御した。アレクサンドルには嗣子が無く、次弟のコンスタンチン大公が帝位を継承すると見るのが一般的であった。しかし、コンスタンチンはポーランドの貴婦人と秘密裏に貴賤結婚したために、自ら帝位継承権を放棄していた。アレクサンドル1世も生前、このことを認め、帝位は次の弟のニコライ大公(後のニコライ1世)に委譲することが決定していた。ところが、奇妙なことにニコライ大公が帝位継承者であることを知る者はアレクサンドル1世を始めごく少数で、肝心のニコライ大公自身にも知らされてはいなかった。
帝位継承をめぐってコンスタンチンとニコライの間で相互に帝位を譲り合い、一時的にではあったが空位期間が生まれた。結社のメンバーは、ツァーリ政府に自分たちの情報が当局のスパイによって漏れているとの情報もあり、不十分な準備のままクーデターを敢行した。